白瀬の大学生活の記録

大学生活で感じたことをつらつらと。

高校卒業までのこと1

M高校に進学し、知り合いのほとんどいない環境での新しい生活が始まった。

M高校には、中学のような厳しいスクールカーストはなかった。もちろん、クラスの中心人物もいれば、いつも教室の隅でおとなしくしてる人もいるのだが、最上位と下位層の距離が近いというか、何かあったら上位層が下位層に手を差し伸べてくれるような雰囲気があった。中学では上・中位と下位はほぼ完全に断絶されていた。

たぶん、中学のスクールカーストにおける中位層にあたる人たちがいなかったのだと思う。いちおう進学校なだけあって、みんなある程度賢いので、噂話や悪口を聞いても、それは本当なのか?と考えたり、それはなんか違うんじゃない?と反論したりする人が結構いたような気がする。

まぁ単純に年齢の問題の可能性も否定はできないが…。

そんな環境のなかで、私は少ないながらも友人ができ、休み時間をともに過ごすだけでなく、学校帰りに一緒に店でご飯を食べたり、休みの日に集まって遊びに行ったりした。これが青春か、と思った。部活や課外活動はゆるゆると参加した。学業成績はそこそこだった。

そういうかんじで、中学とは違い、基本的人権を失うことなく、幸せな気持ちで高校生活を送っていた私だったが、また別のところで私を悩ませるものがやってきた。

進路選択である。

私には今も昔も将来の夢がない。

高校受験では、将来の夢が無くとも、とりあえず普通科を選んでおけばよかったが、大学受験ではそうもいかない。

東京大学北海道大学(当時)は受験の段階では学部を分けずに募集し、2年生くらい(記憶が曖昧)で成績順で学部を決めるというシステムだったけど、私にとっては結局、選択を先延ばしにしてるだけだし、成績が悪かった場合に行きたくない学部に行くことになるのが嫌だったので、それらの大学は志望しなかった。

私は小学生の頃から理系科目が好きで、尚且つ国語と歴史が苦手で嫌いだったので、理系に進むことだけはすぐに決めることができた。しかし、理系と言っても理学部、工学部、農学部、薬学部など、比較的広い範囲に対して興味があるといえばあったし、無いといえば無い、というのが正直なところだった。

また、どこの大学へ行くか、というのも重要である。親が学費の安い国公立大へしか行かせてやれないというので、その点は決まっていたのだが、それでも北海道から沖縄まであるし、偏差値もピンキリである。研究設備なんかもピンキリ。まぁこれは偏差値高いほど整っていると考えていいと思うけど。

私は田舎で育ったため、都会への憧れがある一方で、都会は怖いという気持ちも同時に抱いていた。

また、偏差値の高い大学を目指したいと思う一方で、目標に届かなかったらどうしよう、という気持ちもあった。

そして、何学部を目指したらいいのか、それが一番わからなかった。だって私は将来の夢がない。医者になりたいから医学部へ行く、医療用ロボットを作りたいから工学部へ行く、天文学に興味があるから理学部へ行く、そういう夢や目標や憧れが、私には無かった。

そのため、年に数回の進路志望調査で、私は毎回違う大学、違う学部を書いて先生に提出していた。そして面談で「なぜこの大学のこの学部なの?」と聞かれるのである。私は答えられない。もうちょっとしっかり調べなさいと言われる。はい、と答える。そんなことの繰返しだった。