白瀬の大学生活の記録

大学生活で感じたことをつらつらと。

中学卒業までのこと1

考えてみたら、大学生活のはなしをする前に高校卒業までのことを記録しておくべきであることに気が付いた。

というわけでまず、中学までのこと。

私はとある田舎に生まれ育った。一口に田舎と言ってもいろいろあるだろうが、私の"田舎"は田畑が広がる小さな町で、家から最寄り駅まで車で10分、電車は一時間に1本、駅前ゆきのバスは2時間に1本。小学校は一学年がぎりぎり2クラス。中学は3クラスだった。

自分でこんなことを言うのもなんだが、私は中学までは、学年で一番学業成績がよかった。もちろん、「一番」という数字は、田舎で同級生の絶対数が少ないから取れた数字ではあるのだけど、周囲と比べて賢いという自覚はあった。ちなみに塾には行ったことがない。というか、田舎過ぎてお勉強のできる子向けの塾なんてなかった。大学へ進学して都会へ出るまで、世の中の塾というものは「お勉強のできない子供たちが親に嫌々入れられるところ」だと思っていた。ちなみに中学受験もなかった。近隣に受験する中学がなかった。

話が逸れてしまったが、そういう賢い子どもだったせいなのか、周りの人間とは見ている景色が違っていたのだと思う、中学までは友達がほとんどできなかった。今でも友達は多いほうではないが、困ったとき助け合える相手は何人もいる。中学まで、友達は「ゼロ」と言っても過言ではなかった。

とくに、中学3年間は本当に酷かった。小学校までと比べると、中学ではスクールカースト的なものが顕著に見えるようになり、カースト下位の人間は、上位の人間に相手にされなくなってくる。私は中学のスクールカースト最底辺であった。

スクールカースト上位にいるのは、根も葉もない噂話と人の悪口が大好きで、声の大きい人たち。今思えば、彼らは賢かったから、周囲を煽るような噂話や悪口を次々流すことができたのだろう。週刊誌を書いてる人たちや、水素水を売ってる人たちと同じである。それが真実かどうかより、人の心を掴むことのほうが大事なのだ。話が嘘だろうが、誰かが傷付こうが、その話をすることで自分の周りに人が寄ってくるのであれば、それを利用し、自分自身の地位を保ち続ける。それがカースト上位に居座り続ける人間だ。

次に、「カースト上位の人間に追従する人たち」によってカーストの真ん中らへんが形成される。彼らは、カースト上位の人間の話を鵜呑みにする人たちである。カースト上位の人間の言うことなら、何でも信じてしまう。吟味するということはまずない。なぜなら吟味できるだけの頭を持っていないから。週刊誌にこう書いてたからこうなんだ、テレビでこう言ってたからこうなんだ、水素水は体に良いってみんな言ってるから体にいいんだ、そういう人たちである。

こういう人たちはカースト上位の人たちからすれば実に都合がいい。頭が空っぽであるが故、ちょっと心に引っ掛かる噂を流してしまえば、すぐにそれを信じ込み、自分達に従ってくれたうえ、自分達の地位を勝手に作り上げ、守ってくれるからである。そして、このカースト上位と中位の人たちにより固められた「今話題のあれ」が、中学のような閉鎖的で逃げ場のない空間では特に、人とコミュニケーションを取るにあたっての鍵となる。

最後に、そういう噂話に疎い人がスクールカーストの下位層となる。「疎い人」というのにもいろいろいて、噂話や悪口を、ばからしい、興味がないと感じて聞き流す人もいれば、空気が読めない、すなわち、どういう噂が皆の間で広がっているのか、人々の共通の話題を感知できない人もいる。友達が少ないため情報が遮断され、噂話に疎くなり、より下位のほうへと追いやられ、誰にも相手にされなくなる、という人もいる。

私は噂話や悪口に興味がなかったし、カースト上位や中位の人たちを心の底から嫌悪していたし、数少ない世間話をする相手は空気が読めずカースト下位になってしまうタイプの人だったので、私は必然的にカースト最下層となった。クラスでも部活でも。

中学3年間で、話が通じる友達が欲しいと何度願ったかわからない。同じ中学のなかにそういう人間がいないのはわかっていたから、早く卒業したい、早く新しい環境へ行きたいと思いながら3年間を過ごした。